外国人として私の日本での経験

私は日本に住んで10年以上が経ちます。初めて日本に来たのは2011年10月で、2014年10月まで技能実習生として働いていました。その後、1年間インドネシアに戻り、2015年10月に留学生としてまた日本にやってきました。そして、2020年3月に無事に卒業しました。卒業後は、同じ人材関連の仕事を続け、今までに3回転職しました(技能実習生や特定技能に関わる仕事です)。この3つのステージ(技能実習生、留学生、日本での社会人)の中で、それぞれ違う経験をしてきたので、このブログでは、それについて少しシェアしたいと思います。

技能実習生

技能実習生として日本に来る前、私はインドネシアで6か月間、日本語を学びました。そして、2011年10月に日本へ出発しました。最初は言語や文化の違いに戸惑い、本当に大変でした。
私が働いていた会社は岡山県備前市にあり、そこで聞く岡山弁が教科書の日本語とは全然違っていて、特に最初は何を言っているのか全然分かりませんでした。さらに、工場の人たちは話すのがとても早く、言葉遣いも少し荒い感じがしました。仕事の規律も母国とは違って、途中で辞めたくなることもありました。でも、両親や友人の励ましのおかげで、何とか3年間の技能実習をやり遂げることができました。

留学生

技能実習を終えた後、インドネシアの大学に進学しようと思っていましたが、送り出し機関のオーナーが「日本で勉強したらどうか」と提案してくれて、迷わずそのチャンスを掴みました。そして、2015年10月、今度は留学生として吉備国際大学(岡山県高梁市)に入学しました。
留学生としての挑戦は技能実習とはまた違いました。技能実習では仕事の目標を達成するのが主な課題でしたが、留学生としては、どうやって4年間で卒業するか、そしてアルバイト(日本のルールでは週28時間まで)で生活費や学費を賄うかが大きな課題でした。大学の授業では尊敬語を使わなければならないし、技能実習中は荒っぽい言葉をよく使っていたので、最初はそのギャップに苦労しました。また、授業で出てくる漢字を覚えるのも大変でした。
それでも、学生生活は楽しい時間でした。特に、学生生活は4年間だけで、残りの人生は社会人として過ごすので、授業にはできる限り出席して、しっかり学びました。また、日本政府から奨学金ももらえたので、学費の一部をカバーでき、本当に助かりました。
4年間はあっという間に過ぎ、2020年3月に卒業しましたが、ちょうどコロナ禍の影響で卒業式がなく、卒業写真を撮れなかったのが少し残念です。

社会人として

大学を卒業する前から、私は人材関連の仕事(技能実習生や特定技能のサポート)をしたいと思っていました。というのも、私自身が日本でたくさんの苦労を経験してきたので、同じような困難に直面しているインドネシア人たちを少しでも助けたいと思ったからです。また、日本で成長させてもらった自分にとって、日本に何かしら恩返しをしたいという気持ちもありました。
卒業後、私は岡山県岡山市にある協同組合で技能実習生のサポート業務を始めました。ここでの仕事は新しい経験ばかりで、初めてのオフィスワークに加えて、パソコンの操作(ワードやエクセルなど)もまだ不慣れでした。さらに、技能実習生の申請書類作成やビジネスマナーなどにも苦労しました。
それでも、この仕事を選んだのは私自身ですし、会社の人たちがとても優しく、多くのことを学ばせてくれました。この経験のおかげで、今の自分があります。
その後、2021年5月に名古屋で働くインドネシア人の方から新しい仕事のオファーがあり、転職しました。彼が日本でどうやってビジネスをしているのか学びたかったからです。でも、いろいろな違いがあって、2022年12月に退職し、2023年1月からはMan to Manで働いています。ここでは、自分の情熱を活かして働けて、周りの同僚たちもとても親切なので、とても快適に仕事をしています。

これが私の日本での経験です。この国が大好きで、第二の故郷のように感じています。まだ慣れないこともありますが、それもまた人生の一部だと思っています。完璧な場所はないけれど、これからも日本に住んで、少しでも日本とインドネシアに貢献できたらと思っています。

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ドゥイ ウィチャクソノ
DWI WICAKSONO (ドゥイ ウィチャクソノ) 出身 インドネシア 言語 インドネシア語、ジャワ語、日本語 2011年10月~2014年9月 技能実習 2016年4月~2020年3月  吉備国際大学 2020年4月~2022年12月 協同組合、登録支援機関のスタッフ 2023年1月~現在に至る  Man to Man株式会社